「早くしなさい!」を見直す

脱線事故、原因究明が進む中、「スピードや会社の利益を優先して安全をおろそかにしていた」、ということが指摘されています。そんなニュースを読んでいて、ふと、やっぱり、自分の子供達のことを考えてしまいました。


そう、私が子供に向かって言う言葉の上位に、「早くしなさい!」があがると思います。子供達はまだまだ小さいから、何もかも大人のようにスムーズにはできないことはわかっています。しかも、遊びたい盛り、いや、本能のままに、寝ている時以外はいつでも遊んでいたい年頃ですから、食事も、歯磨きも、手洗いも、お風呂も、トイレも、外から帰らなければならない時も、何もかも遊びながらでなかなか終わらず、ずるずると時間が経ってしまいます。そうするとこっちはイライラして、「早く食べなさい!」とか、「早くお風呂に入んなさい!!」と言ってばかりの毎日になってしまいます。

なんで私は「早く」って言うのでしょう。別に、早くしないと学校に遅刻するわけでもないのに。もちろん、時たま、出かける予定があって時間が迫ってるっていう場合もありますが。そしてその理由の一つが、「自分の時間が欲しいから」、ではないかと思い至ったのです。育児は年中無休。少しでも、自分の時間(ゆっくりする、自分の好きなことを自分のペースでする)を持ちたいと思うのは、どの母親も同じなのではないかと思います。子供の食事もトイレも、生活のあれこれ全てをのろのろ遊びながらやる子供につきあってると、自分の時間どころか、家事も思うように進みません! ストレスたまります…。

もう一つは、早寝早起きな生活リズムが理想だから、というようなところでしょうか。何もかも、ぐずぐずのろのろやってたら、毎日あっという間に夜になってしまい、「今日も寝かせるのがこんな遅い時間になってしまったぁ〜」と後悔してばかりの毎日。「早く寝なさい」って言ったって、子供はそう簡単には寝てくれませんよねぇ。早寝早起きはもちろん、とても大切なことではありますが、(逃げるつもりはありませんが)、これも、育児における「○○しなければならない」っていう縛りというか、プレッシャーにも感じます。それができない母親は、まるで母親失格かのような。同様なプレッシャーの例は、「虫歯ができたのは親のせい」とか「毎日公園で遊ばせないとダメ」とかいうのがあがるでしょう。なんだかだんだんと、子供にいいこととをする、というより、育児教科書に従ういい母親にならなければならない、という、自分のためだけの行動になって、その縛りで悩む悪循環に…。「早くしてよ」が、子供のため→いい母親になるため、と、なんだか目的が変化してそうです。えっ!? これも私のためでしたか…。うむむ。

「早くして!」の理由が、全て自分のためのものだった(かもしれない)とは…。そして、せかして怒ってばかっかりいると、子供が折角遊んで楽しく過ごしている、というのをだいなしにしたりしているんじゃないか、とも。ここまで列挙してきたことはみな、なんだか子供にとってマイナス面ばかりですね。

思えば、家での〜んびり過ごせるのもあとわずか。たまには、食事時、少ないおかずでも、おしゃべりしながらゆっくり食べたり、トイレの時はトイレにあるもの(タオルとか…)を眺めてもよし。考えなおしました。もちろん、食事中にしてはいけないこととか、きちんと教えてゆかなければならないこともありますが。

そう、今日も新聞の投書欄に、「早さを求める風潮を見直す」という記事がありました。事故をきかっけに、いろいろと考え直している方、多いのでしょうね。…とか書いてきてはいましたが、今日も何度も「早くしなさいっ! もぉ〜」を連発してしまいました。難しいです。