戦争と家族の過去を、ちょっと振り返る

夏になると、終戦記念日もあって戦争の話が話題になる。
私の祖父も、戦争に行ったそうだ。

父方の祖父は「生きて帰ってきた」という、そういう話しか聞かされてなかった。
近くにいて話そうと思えば話を聞けたかもしれないが、あまり孫に興味がなかったのか会話する機会もほぼなかった。
盆や正月に親戚が集まっても、子どもの自分はいとこと遊ぶのに忙しい。
進学して地元を離れた後に亡くなったので、祖父がどういう人だったかということを含めて、あまり記憶にない。

妻である祖母はこの農家に嫁いだことで苦労したらしく、私が子どもの頃に、祖父より先に亡くなったが。
やはり戦中の話を聞く機会はほぼなかった。

そういう意味でも、あまり戦争を身近なものとして感じる機会は少なかった。


母とはよく話した。
母方の祖父は警察官をしていたが、徴兵されて中国方面に行き、そこで体調不良で亡くなったということを聞いた。
戦いではないらしい。
太平洋戦争では戦いではないところで亡くなった人がかなり多数にのぼると聞いたことがあるが、たぶんそちら側の人だったんだろう。

祖父の写真を見せてもらったことがあるが、がっちりした顔立ちの人だった。
私が大学生の頃、母に、好みの(今で言う推しの)プロ野球選手ができた時。
母が、
「なんでいいなと思ったか、父に似てたからかもしれない」
と言っていたのが印象に残る。
つまり、白黒写真の祖父と、その選手がどことなく似ているそう。

祖父は、出征時に妊娠中だった妻である祖母に、
「生まれたら⚪︎⚪︎という名前をつけて欲しい」
と言って出発したそうだが。
それが、母の弟、私の叔父である。

戦後、祖母は子ども二人を必死に育て、娘である母も苦労したらしい。
母子家庭だから、偏見の目で見られることもあったに違いない。
必死に生きたことで作られた性格や価値判断が、私を育てたことに多分に影響しているのを私も感じていた。
いい意味でも、悪い意味でも。


と、私が知る、伝え聞いた、先祖に関する戦争の話はこのくらい。
このくらいしかないからどこかで語ることはまるでしなかったが。

ブログって、今さっき体験した日記みたいなことを書くんじゃなくって、過去のことを書いてもいいんだと最近気がついたので、こんな話も書いて、ネットの海に流してみる。

メガネどうしようか悩む

最近の悩み。

メガネどうしようか悩みます。
そう、老眼がだいぶ進んできました。

基本近視なので。
近視のメガネをずらすと近くでも見やすくなるという小手先の対処でなんとかなった時期は過ぎてきて、細かい文字などの時は外して見るみたいなことでなんとかしのいではきてますが。

ずっと気に入って使ってきた、そのレンズのコーティングがだいぶダメになっていて(表面に模様のようなものが)、2年前にメガネ店に相談して作ったのが、今、外出先で使っている遠近のレンズのメガネです。

遠近のメガネ

が、レンズの上下で度が違うというものだからレンズ大きめにしてもらったら。
意外に重い!

測ったらたった2gの差だったのですけど、慣れたものからそれだけ重くなるとどうも気になって、最初はあまり使ってませんでした。
でも、そうも言っていられず使うようになって、慣れてはきました。
ただ、やっぱりこれで全焦点距離完璧というわけではなく、「見づらいな」と思うこともしばしば。

店では
「そのうち、近く専用のものも作った方が良いかも」
と言われているので、どのタイミングで作ったらいいか、ぐるぐる悩んでます(で、AIに聞いたりとか)。
つまり、現在、「コーティング剥がれかけているけど使い慣れたもの」と「ちょっと重いけど遠近両用」の2本持ちですけど。
加えて、「近く専用」のもう1本が加わるとは、なんとなくめんどうな。

しかし、諸先輩方みなさまはそうやって使い分けているのでしょうね。

ちなみにコンタクトは学生時代に使ってましたけど、目にくる花粉症になってやめて以来使ってません。
海にもぐる時用に欲しいと思ったこともありましたが、しばらくそういう機会もないので(式根島で潜って以来、海で泳いでない)このまま使わないでいきそうです。

cam.hatenablog.com
cam.hatenablog.com

過去に度付きゴーグルをレンタルしたこともありましたけど、都合よくそういうものがあるわけではなく、見えない水中で楽しさがちょっと減るのは残念ポイント。

あぁ、レーシックとか、眼内レンズとか、手術の選択をするという手もなきにしもあらずですが、自分としてはそれはないかもなー。
他の、年とると出てくる目の不調や病気が早そうかも、など。

最近、書店の雑誌とかもアラフィフ向けとかやたら文字がデカくて優しかったりとか、やっぱりそういうものですね、という感じを受けてますが。
もちろん普通に読書もしたいので(文庫本なんて文字細かすぎ)、やっぱり悩ましいです。

次は「使っているモノも捨てる」段階へ

ライフスタイルも変化してきての、捨て活の話の続きです。

cam.hatenablog.com

1年くらい前にこうして記事を書いてたあの時、けっこうな量を捨ててました。
それ以降は
「もう使ってない! いらない!」
と即断できるものは減ってきてしまっていて、捨てるペースは落ちました。

しかし、まだ、モノは多い。
服は100着くらいあって、クローゼットに掛けて見渡せるくらいにはなっていても。
ミニマリストを目指すわけではないけれども「多いよなー」と感じるくらい。
本、書類、文具、雑貨系など、他のジャンルもそう。

どうして捨てられないのか。
それは「使っている」からと気づきました
多量にあるものを時に平等に、あるいはほぼ、チャンスを与えていてしまってました。
食器などについてもそうです。
「使ってないもの」
を基準にしたら、それらは残ってしまいます。

ので、そろそろ今度は、
「使っているものだけれども、なくても困らないものを捨てる」
フェーズのようです。

先日、中サイズのプラスチックのボウルを捨てました。
なんとなく使用感が気になっていても、このサイズがこれしかないので使ってたのです。
が、他でも代用できるとわかって捨てました。
そして、困ってません。
むしろ、年1くらいの出番のものが数日に1度の出番になってびっくりしております。

使ってるけど
「使い勝手がビミョー」
「汚れが気になる」
ものは、もう捨てても良いかもしれません。
大事に持ってるつもりのものが、汚れていて使えるけどいまいちなの、あるあるです。

ダメそうなモノたちなので写真ありませんが、こんな感じでまだ探してます。

ちなみに。
本や書類でいっぱいだった棚の半分が片付き、そこにボウケンジャーのメカ飾ったのでご満悦です。
早く、ライダーベルトを置けるところも作りたいです(今は押入れの中)。

判断難しいところもありますが、そういうふうにして進めていきます。