モノ捨てしたら、やりたいことが見えるようになってきた

cam.hatenablog.com

先月にひき続き、モノ捨て続けてます。
ペースは落ちぎみですが、やはりまだまだいらないもの、それから、未開封のものなどありまして。
捨てるだけでなく、見えてなかったものは見えるように、袋からはなるべく出すようにしています。

捨てたり整理したりし続けてきて見えてきたものがあった、その話です。

参考にさせていただいている「しぶ」さんが話していることと同じなのですが。
必要なモノは、「それを使いたい」と思っているモノなので、必然とモノが「やりたいこと」に結びつくのだなと。
つまり、「残した」のだから「やらねばなりません」なのです。

書類系

これまで(というか今も)、自分のモノに対する向き合い方は、「資料室」のような付き合い方がしたかったと気づきました。

誰かに
「⚪︎⚪︎について教えて」
と誰かに言われたら、書庫に向かって資料を探し、
「それならここにこう書いてある」
みたいなふうに説明できる、そんな感じ。

書庫みたいな家ではありませんが、確かにそうやって、いろんな人に
「持ってるんだ」
「すごい」
「助かった」
と言われてきたし、言われたい。

先日も子どもに「きりん座について」聞かれて、天文職やってた時の切り抜きを本棚のファイルから引っ張り出してきましたが。
自分自身が
「そんなの持ってたんだ」
みたいに驚いたのでした。

ただ、時代は変わりました。
手持ちの情報は古く(古くならないのもあるけど)、ネット検索の方が当たり前、手持ちの資料の量こそ中途半端です。
教授でもなんでもないんだから、背景に本棚を作って並べておく必要もなく、もう、自分にとって必要ないものは処分を進めた方が良いようです。
というかそう思って捨ててゆきます。

手芸とか雑貨とか

服も、雑貨系も、子どものものも、だいだい分類されてまとまってきました。

手芸材料は、そもそも何を持っているのか見えてきたので、手をつけやすくなった気がします。
ちなみに年始から編み物やって材料をほぼ使いきりました。
それを機に棒針は処分。
かぎ針はまだ残ってますが、多分、もうこれで編み物は卒業かなと思ったりしてます。

そう、手芸とかいくらかできる分、材料系が出てくると「捨てる」より「これが作れる」とクリエイティブになってしまうのが、よくないのでしょうが。
「作りたい」もやりたいことなら、無理せずやっても良いのではないかと思うのでした。


先週末に作ったエコバック。
材料残しておくなら、作るのです。
(仕事カバンに突っ込んであったのを撮影のために出したら、しわが)

やりたくてもできなかったこと

「1年使ってなかったものは捨てる」
なんていうのが捨て活のルールだったりしますが。

子どもが手を離れて自分の時間が格段に持てるようになって、今までずっと使ってなかったものが出番を得るようになってきました。
「やりたくてもできなかった」ことができるようになったのです。
捨てないでとっておいた自分もすごいですが、ようやく訪れたチャンスなので使います。


年始の頃は「次の旅どうしよう」みたいに検索したり動画見たりしてたんですが。
やることいろいろ発掘されてきたので、おうち時間がとても必要になってきました。
旅はまた考えますが、しばらくは自分のモノとそれを使ったやりたいことに向き合っていこうかと、そう思います。