ロシア語と、これまでどんな接点があったのか

ロシア語勉強し始めて、1年経過しました。

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といってもラジオ講座中心で、テレビ講座をたまに見て、きちんとした復習もしてないので、進歩は微々たるものです。
それでも、ほぼわからなかったものがちょっとでも
「わかった!」「覚えた!」
ってなってきたのはわかりやすく嬉しい。

で、なんでロシア語やろうかと思ったきっかけというか、その前に、これまでどんなところに接点があったのかを書いておきたいと思いました。

聖闘士星矢の氷河

ロシア語との出合いはここでしょう、多分。
「マーマ、ダースビターニヤ」
の言葉。

つい先日なんですが、ラジオ講座を聞いてたら「カリツォー」というのが「指輪」という意味のロシア語だったと知って、びっくりしました。
技の名前! 知ってた!

1812

ロシアのことで自分が一番何になじみがあるかというか、知ってることといえば、クラシック音楽でしょう。
特に、チャイコフスキーの1812は高校の時に演奏したので、思い出深いです。


www.youtube.com

他にも、ムソルグスキーの「展覧会の絵」とか、ロシアと意識しなくても好きな曲はいくつもあります。

大学の第三外国語

そんなわけでロシア語のあこがれ(というか単にアニメきっかけ)を引きずったまま大学で第二外国語を選ぶわけですが。
大多数に流されてドイツ語を選択していました。興味があったわけではないので、マジメになどやってなく、今の頭には何も残ってないです。

一方で、友人が土曜に開講されているロシア語をとっていると聞いたので、その授業もとることにしました。
いわば、第三外国語。
テキストも買って試験も受けて、単位ももらいました(自由選択みたいな範囲の単位がありました)。
その時のテキストが、上のブログ記事の中のツイート写真です。
当時はまだソビエトだったのでその前提で書かれている教科書や副読本をまだ持ってます。

ロシア語の手紙をもらった

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上記事のとおりです。今も持ってます。
そろそろ、いくらか動詞の変化、単語の格変化がわかった上で、手紙が改めて解読できるかもしれません。

ロシア人の奥さまとお子さまたち

自分ちの子がまだ小さく、大阪に住んでた時、ご近所にお父さんが日本人、お母さんがロシア人という家族が住んでいました。
お子さんは男の子と女の子。保育園くらいの年齢でした。
お母さんの方も大学で勉強してるか何かであまり話す機会はなかったのですが、時折見かける金髪の二人の子どもたちがまぁかわいらしくって。
顔立ちは日本人ぽくても髪はママに似て金髪。
「お父さんが二人の子どもたちを連れて散歩とかしてると、職質される」
とかいう笑い話を聞いたものです。

そういえば、男の子の方が「大きくなったら新幹線になりたい!」と言ってました。
今は高校生くらいかなぁ?
もうちょっと、いろいろ話をしてみたかったです。

大黒屋光太夫

そんな感じでいろいろ接点あった上で、今のきっかけとなったのが、
ねこねこ日本史 → 日本史小説読む → 幕末の漂流記 → 大黒屋光太夫間宮林蔵
です。

大黒屋光太夫の話を読んだ後に、緒方拳さん主演の映画「おろしや国酔夢譚
www.kadokawa-pictures.jp
をレンタルしてきて見ました。1992年の作品です。

ネットで感想等を探して見たら
「ロシア語の授業で見た」
ってのがいくつかあって、あぁ、ロシア語わかると映画もより深くわかるんだろうなと思ったのです。

あと、間宮林蔵の足跡を見たら、サハリンに行ってみたくなりましたね。
いや、まずは稚内でもいいです。



と、そんな振り返りの話を、

この本を読んでちょっとだけ書きたくなりました。
たいした勉強量もエピソードもないですが、掘り返してみるといくつもあるものです。

上の本の著者は文学研究をされてる方なので、自分のような
「ロシアに興味があっても文学なんてさっぱり何一つ読んでません!」
という人にはとっつきにくいかと思ったのですが、だんだんとひきこまれてゆきました。
過去に書かれてきた文学が今の目の前の出来事とつながった時、「ほらあそこに凝縮して書いてあった」ってのは、きちんと学んでおくべきなのだな、とも。