サイエンスアゴラ2011

サイエンスアゴラ、今年もなんとか無事に参加できました。以下、関わったところの感想などです。

海洋汚染シンポジウム

前の記事にて告知いたしましたとおり(id:camelopardali:20111107)、日本海洋学会、震災対応ワーキンググループが主催するシンポジウム、「東日本大震災後の海洋汚染の広がりとその影響」にパネリストとして参加しました。

開始1時間前に登壇されるみなさんにお会いして、まずは簡単な打ち合わせ。私だけが部外者って感じでしたので、緊張しないためにも、事前になるべく先生方の顔写真等をネットで検索し、拝見しておいて良かったです。

午後3時半にセッション開会。スケジュールどおり、コーディネーター市川さんからの趣旨説明の後、植松さんからは「海洋放射能汚染の広がりを測る:わかること・わからないこと」のタイトルでお話がありました。専用の調査船で海の上まで出ていって測ることの大変さ、大切さの説明は、もう少し詳しくお聞きしたかったものです。個人的には、値が上昇しているところもある海底土の結果が気になりました。

次に、「海洋放射能汚染の広がりを再現する:わかること・わからないこと」のタイトルで、升本さんのお話です。アニメーションで示された汚染の広がりのシミュレーションはインパクト大でした。あれから半年以上、海で拡散されたとはいえ、平常時の10倍程度、広く広く太平洋にここまで広がっているのかと驚いた一方で、茨城県沿岸の濃淡を気にしてしまいます。ですが、最後には「1つのモデルだけを信じない!」と強調されて、条件の違う複数のシミュレーション結果を示されてました。「わからない」こともわかりましたけど、出た結果をどう見ていいのかの心構えが必要だなと思ったものです。

さて、いよいよ壇上にあがってのパネルディスカッションです。証拠写真として自分だけちょこっと。

その前に追加情報として、日下部さんからは、みなさんが一番気になるであろう、魚など水産物の放射能汚染について、鈴村さんからは、津波による地形の破壊などが生態系にどう影響あるかや、化学物質による汚染に関しての解説がありました。

その後、私と難波さんの自己紹介でした。ここでは、事前打ち合わせどおり、二人そろって子を持つ母親であることもある程度は強調しました。また、私の方からは、サイエンスカフェという活動をしていることに加えて、今回のシンポジウム登壇にあたって、事前に大洗の魚屋さん、水戸のレストランシェフ、鹿嶋の漁師の奥さん、にお話をお聞きしたことを説明しました。

ディスカッションでは、事前に用意した私の質問、

「汚染について、『先の見えない不安がある』という地元の声がある。どの程度までなら予想できていると思って良いのか?」

「科学者は『放射性物質をなくすなんて無理』『先のことはわからない』とも言うけれど(科学にとってはそういうのはあたりまえのこと)、そういうことを言われると、“みんなと同じ方向を向いて問題解決しよう”というふうに見えなくて、不信感が増すだけでなく、頼る気もなくなってしまう」

というようなことを伝えさえてもらいました。もちろん、会場からの質問を受け付けて専門家が答えたり、難波さんからは、緊急時の科学者としての対応やコミュニケーションについての質問もありました。

やっぱり、時間が足りなかったのは否めません。前半の解説も盛りだくさんであったし、私の方も、事前に用意した質問や地元の声の一部しか、この場では披露できませんでした。

ただし、最後の一言で私からお話させていただきましたとおり、「やり足りない!」という想いが残ったからこそ、今後とも、海洋科学のみなさんとのおつきあいは是非とも続けたいですし、やがてはそれが、対話の場(サイエンスカフェなど)の開催や、市民研究(海洋だって、住んでるところに近い沿岸部や、実際に漁をしている漁場についてなら地元の人の方が専門家より詳しいかもしれないし、一緒になって調査だってできるはずでは?)にもつながればいいなと思ったものです。

さらにもう1点。

この前日、自宅にて、開幕シンポジウム「私たちにとって科学技術とは何か―震災からの再生をめざして」のUstream中継を、片手間ではありますが見ておりました。こちらは、録画を見ることができます。

http://www.ustream.tv/recorded/18588101

上記リンク先(その2)の47分あたり、大阪大の小林先生がおっしゃっていることが私には一番印象に残りました。

今回、海洋科学という、全く接したこともないようなところに出ることになり(というか、正確には、横串会会員である市川さんから運営委員に「非専門家のパネリストを」と連絡があり、ならばと私が手を挙げた)、不安もいろいろありましたが、私なりに「専門家のみなさんは、こういう情報やつながりが欲しいだろう」と思うことをできる範囲でやってきました。

結果、初めて見る人(特に海洋学会関係者)には、

「こいつ一体何者!?」

って思われるような人選となったでしょうが、学会が開くシンポジウムとして、前例のない(かもしれない?)、やってみなくちゃわからない、そんなパネルディスカッションになったと思います。もっとひっかきまわすような発言なども考えてたんですけどね〜、自粛しました(笑)

でも、あの時間内にみなさんにお話したのはほんの一部分です。事前のメール打ち合わせではもっといろいろな内容が出ておりました。ワーキンググループも今後も活動を続けるでしょうし、私としては、お話をお聞きしたみなさんや、地元のみなさんに今回の結果を伝えるとともに、

「(研究の)結果がどこでどのように使われたのか、役に立ったのかどうか、現場の声を得たい」

という、研究者側の声に、私達も遠慮なく意見を述べてゆきたいと思ったものです。


さて。参加者のみなさま、アゴラ関係者のみなさまにこの内容と気持ちがどうとらえられたかわかりませんが、このシンポジウムが、サイエンスアゴラ賞のサイエンス対話部門を受賞いたしました!

http://scienceagora.org/scienceagora/agora2011/award.html

内容がタイムリーである、そして、学会としてこういった問題をきちんと扱おうとされた、ということが評価のポイントだったと思います。自分自身がどれだけ貢献できたかわかりませんが、大変嬉しいことです。

セッションについては、コーディネーターの市川さんが既にブログに書いておられますので、そちらもご覧ください。

閉会後、日下部さんから、那珂湊にあった放射線医学研究所の支所のことを教えていただきました。

「プールがあって魚を飼っていて、そこに放射性物質を加えて、どうなるか調べていた。もちろん、一滴も水がもれないようにして。でも、閉鎖になった。」

もう、すっかり更地になってしまっているそうですが、地元民としても気になるお話でした。その研究成果は、今回、どう生かされているのでしょうか?


サイエンスコミュニケーションネットワーク横串会 横串フィールド

毎年関わっている横串フィールドは、今回は規模縮小し、横串会会員の活動紹介と、東京国際科学フェスティバルでも紹介しました、サイエンスカフェポスター展を引き継いで展示しておりました。といっても、私の方は自分の活動紹介をA4用紙2枚にまとめただけでした。

それでも、「サイエンスカフェとはどういったものか?」や、その特徴や疑問に思っていることなどについて、質問してこられる方もいらっしゃったので、パネル前にいる時間は答えたりしておりました。

横串会会員の中には、精力的に活動を行っている方もいらっしゃるので、今後もこのつながりを生かしてゆきたいものです。


その他見たものなど

シンポジウムのプレッシャーから開放された翌日、20日朝にやや遅刻ぎみで横串フィールドに到着し、プロジェクタから(ダンボール)パネルに投影されていた、みなさんの「#sciagora11」のつぶやきを眺めていたら、

「結構こじんまりしてる。/サイエンスアゴラ とことん話合い「科学コミュニケーションは“独自の”分野か?」科学コミュニケーション研究会@産総研臨海副都心センター本館」

というようなツイートが目につきました。こじんまりなら、ちょっとのぞいてみるかなー、と思って向かったところ…、最後まで話し合いに参加し、あれこれ自分の置かれた状況やら思うところをしゃべってきてしまいました…orz

主催のみなさん、会の題名にふさわしい参考になった意見かどうかというと自信はないのですが、終了後に何人の方から声かけていただいたりなど、出てよかったかもな、と思わされました。

ちなみにこの午前に茨城で地震があったなんで、全く気付いてませんでしたよー。みなさんに、

「おうち、大丈夫?」

とか言われてびっくり。水戸は物が落ちることもなく、たいしたことなかったそうです。


他、未来館の方の展示も、やや駆け足ですが見てまわりました。

9月に高エネ研の一般公開にて、うちの子供たちが楽しませていただいた、クォークのカードやカソクキッズも出ておりました。KEK一般公開の時はカード集めに夢中になりすぎてほとんど写真も撮れず…。唯一といっていい携帯での写真が、本家の報告サイトに掲載されてたりしております。

あと、なつかしの(?)、

ニャン博士もいらっしゃいましたー! 西播磨を離れてもう10年? 施設周辺も変わったものです。理化学研究所の出展でした。



というわけで、ほぼ毎年、何やらの形で参加しているサイエンスアゴラですが、「何か活動ができないかなー」と思って参加していた初期の頃には想像もしてなかったような展開にもなってる気がします。

昨年にアゴラに来た時は、「早く帰って地元の人のために活動したい」と思ってました(東京の人のために私がやってもねー、みたいな)。今年もそういう気持ちももちろんありましたが、1年に1度くらいなら出て学び、自分の活動を知ってもらう機会があっても良いのかもしれません。また地元でがんばります。