PTA役員とか

最近、サイエンスカフェなことばっかり書いてますが、他もあれこれやってます。科学全く関係なく。でも、コミュニケーションには思いっきり関係あるかも。

昨年度から、自分自身に役割がまわってくるようになったのが、「役員」です。昨年度なら幼稚園の、今年度は小学校PTAです。

ママさん達の噂どおりというべきか、もー大変です。時間的に拘束されてしまうというのだけではなく、一つの仕事としてきちんとやろうとすると、無償ボランティアではありますが、考えることもやるべきことも膨大になります。しかも、組織内の問題なんかもあったりして…。ただ、任されたルーチンワークをひたすらこなす、というわけにはゆかないし、自分もそうしたくないので、そのことを考えたり作業してたりする時間も増えました。ピーク時はどんだけ持ち帰り仕事してるんだか、ってくらいでしたし。

昨年度は、幼稚園の謝恩会準備の仕事をしてました。サイエンスカフェなんかやってるイベント屋(?)だから、お世話になった先生方と過ごす楽しいイベントのプロデュースをやってもいいんじゃないかと係メンバーに入ったのですが、まんまと長にさせられました。

もう、忘れてしまうくらいいろいろありすぎたものの、忘れられないくらい強烈な体験の連続でした。ブログにほとんど書いてませんでしたが、約1年かけて、メンバー集まり、会場の手作りかざりつけ、昼食、記念品各種(一部手作り)、出し物(保護者、園児)、お礼状、文集、その他…、準備してまいりました。いきものがかりの「ありがとう」のピアノ伴奏の練習だってしてましたよ、私が。2、3月なんて、インフルエンザで休んだこともあったけど、ほとんど幼稚園に自分も通ってたような状況でした。そんな時だって、どうにもならない問題もありました。たまの愚痴はその都度しかるべきところに吐き出し、なんとか乗り切ったところ…。

3月11日に大震災発生。当日11日午後2時に最終準備をして、あとは来週の本番に向けて最終調整のみ、というところで、延期とあいなったのです。思い返せば、あの日から3月後半は、延期&縮小となった謝恩会の連絡と内容調整にかなりの時間を使っていたようです。

それもなんとか無事終えて、引継ぎをしなければ(実は自分の時は引継ぎがなかった!)と、まだ頭が幼稚園モードであるにもかかわらず、4月からは小学校の役員にもなりました。

今度は広報です。よくある、学校の広報誌を作る委員です。ほら、取材して記事書いたりなんてやってるから(ブログもある意味そう)、自分のスキルが役立つだろうなーと思って入ってみたら。また長ですよ。だーれも手を挙げず、でも、担当の先生は「くじ引きなんて恥ずかしいことはしたくない」というお顔でしたから、最後に立候補いたしました。

ただ、今回はやることがほとんど固まっていて、引継ぎもきちんとなされたので、昨年度の幼稚園の仕事に比べたらかなり楽です。行事で学校に行くことは、役員してない人に比べたら多いですが、楽しく取材して、「どんな内容にしたら読む人が喜んでくれるだろうか」と考えてやってます。何もしてなかったら気付かなかっただろう学校がやっている工夫や問題点、先生方の気持ちを知ることもできました。PTA会費が出所の予算も、この広報誌にけっこう使ってるってわかったのも、役員になったからでし。こういう気付きも誌面に盛り込みたいところです。

例えば、これまではPTA会長さん、役員さん、先生方に丸投げだったような原稿(それができあげるとたいてい固い文章で、読んでもあまりおもしろくない)を、なんとか工夫して読みやすくしたいと思っているところです。1学期号はインタビュー取材にチャレンジしました。ささやかながらも、自身のスキルアップに役立っているなと感じるところです(が、別の活動がストップ状態!?)。

自分のことばかり書いてきましたが、たまたま同じ年に役員となったメンバーのママさん(園でも学校でも)にも、実は隠れた得意分野(情報収集、書類作成、手作り、イラスト書き、交渉など)があったりして驚く一方で、「この能力が社会に使われてないの、もったいないよなー」と思うこともしばしばです。ただ、そういう方が参加できるような状況でないと、PTA活動って成り立たないのかもしれません。

また、なんとなーく続いてしまっている活動を改革するような力の必要性も感じました。水戸の人はシャイ(または保守的)だから、余計に難しいのかもしれませんが…。時代は変わり、親子をめぐる環境も変わったのですから、負担を強いたり、いろんなところを混乱させるようなものは、整理してゆくべきでしょう。

2学期もいろんな行事が予定されており、私のカメラの中も、行事取材写真でいっぱいになりつつあります。思いついた企画を、みなが求める記事にするためには何を用意すべきか考える日々です。