臓器移植を考える

ちょっと前になりますが、ニュース等でご存知のとおり、改正臓器移植法(A案)が可決・成立しました。15歳未満の子供からも臓器移植が可能となる法案です。

科学技術コミュニケーター仲間というか…、sivadさん(こちら)やK_Tachibanaさん(こちら)が意見を書かれているので、私も感じてることなどを書いてみたいと思います。これで、ここをお読みのみなさんにも少しでも考えてもらえたら、ということで…。ちなみに、お二人の記事にあるリンク先や書籍、などをご覧になると、より詳しくわかるのではないかと思います。

まぁ、例によって日々の雑事に追われてテレビニュースもほとんど見なければ、新聞も斜め読みなんですが。このニュースに関した記事で驚いたのは、脳死(に近い)状態でいながら何年も生き続けて大きくなっている子供達がいるということです。子供の場合はそういうことがある、というのは何となく知ってたような感じでしたが、記事に名前が出て、普段の生活ぶりが垣間見え、写真があるのでは印象がまるで違います。写真に写っている子供の姿は、まるで昼寝か、もしくは風邪をひいた程度のような感じに見えます。髪もふさふさしています。同じカットに両親もうつっていて、本当に何気ない日常の、幸せなひとこまにしか見えません。通ってしまった法案は、こういった生活をされてる方々を不安にさせてもいるようです。今さらですが、「本当に議論しつくしたの?」「こういったみなさんの気持ちはくみとったの?」と言いたくなります。

脳死と移植法について思ったことを書こうと決めてから、いろんなことをぐるぐるといろいろ考えました。

その中で思いついた一つが、「脳死」って書いちゃうからみんなが「やっぱり脳は死んでるんだよ」って思わせちゃうことではないか、ということです。上記のような例を見れば見るほど、sivadさんが書かれたような問題点を読むほど、「死ではないのではないか」と感じてしまいます。脳死の判断は、きっと、科学者である医師が様々な検査を行った上でしているのでしょう。でも、その宣言を家族が(すぐに)受け入れられるとはとても思えません。大人なら、ドナーカードで意思表示できますが、子供だったなら…。

移植を待っている人を救いたい、という気持ちももちろんあります。もしも、もしも何かがあって自分が判断しなければならない立場になったら、というのも考えました。気持ちはゆれますが、でも、納得いきません。他人の臓器を使えば苦しんでいる人の命が救えるというレベルまで達した科学は、それはそれですごいものです。しかし、それで悩んだりプレッシャーを感じる人を新たに生み出すのは、ちょっと違うのではないでしょうか。移植を野放しにしておくと、臓器が集まらない、情報が広く伝達されない、お金や(何らかの)上下関係がからむ問題になってしまう、から「法律」なのでしょうけど、もっと中身を議論すべきだったように、今さらですが、感じます。

これから医療現場でもどこでも混乱するだろう、みたいなふうにしめくくっていたニュース記事がいくつかありましたが、私もそんな気がします。そこを、誰か詳しい人が科学的に説明してわかってもらってそれでOK
、では済まされないことのような気がします。