小さな幸せが…

ちょっとしたおまけにつられてみたり、使う目的があるわけではないのに気に入った物の衝動買いしたり、タダでもらえるものを意味もなくもらうこと、それは、物にふりまわされたくない人、シンプルライフを目指す人にとっては、まず、やってはいけない行動です。

ただ、おまけがついていたり、タダでもらえると嬉しさを感じる人が圧倒的でしょう。その時(だけ)は幸せです。

ある方が昔、「『幸せ』とは、ある日扉を開けて幸せの世界に飛び込むものではなく、ちょっとした小さな幸せを口にパクリ、パクリとしてゆくものではないか」というようなことを言っていて、そうかもしれないなぁ〜と思ったものです。毎日のちょっとしたことに幸せを感じられた方が(つまりはちょっとしたことでクヨクヨしてない方が)トータルで気分のいい毎日を送れるということです。

というのに照らし合わせると、上に書いたように、その時その時におまけをもらったり、衝動買いをしている人は幸せなんでしょう。幸せを感じて何が悪いんでしょうか。

そうやって家に入った物は、結局は使われずに積み上げられたり、物入れの奥に入ったり、おもちゃ箱にがちゃがちゃたまっていって見向きもされなくなるわけですが、それを見てゲンナリするのは、あの時に小さな幸せを感じた人ではなく、家の中を管理している人です。

なんか、その人が手に入れて幸せを感じているときに後々のことを考えて「やめなよ」とも言いにくく、みんなが幸せを感じた分、やりきれなさを全部背負ってしまっているのかなぁ〜と、ふと思ったのでした。これって幸せの反対を感じてばかりということですよね。

それでも、物に対する考え方としてこちらの方が理屈が通っていて(ゴミが出ない、環境に優しい、無駄遣いがないなど)正しい(より幸せである)と、シンプルライフの考え方を主張すべきなのでしょうか? 少し、迷ってしまいました。