絶対音感のこと

カソウケンによるほぼ日の連載で、絶対音感について3週連続で取り上げられており、興味深く読ませていただきました。そんなわけで、自分の経験をずらずらと書いてみたので、載せてしまいます。特別研究員としてのレポートにしては、全くもってレベルが低いのですが…。

トラックバックしたいのですが、やり方を読んで間違いなく…、とやってると家事に手がつかないので(もうこんな時間!)、ちょっとした更新にしておいて、後ほどします…。

「ややいいかげん」な絶対音感

幼稚園の頃からピアノを習っていたおかげで、ややいいかげんではありますが、私には絶対音感があります。ピアノの音、楽器の音を聞けば、それが「ドレミ」の音に聞こえます。

しかし、「ややいいかげん」と書くには、理由があります。ピアノで言うところの黒鍵の音が、どの音か言えないことが時々あります。それは多分、「ドの♯」と「レの♭」が同じ音だから。「ドレミファソラシ」の7文字しかあてはめられる文字がないので、何と言っていいのかわからず、迷うこともあります。音程がわからなくて迷うのか、言葉が出なくて迷うのか、それはよくわかりません。それに、複数の音が同時に聞こえると、一番高音のものだけしか(とりあえずは)わからないのです。

よく聞きますように、きちんとした絶対音感の持ち主は、物をたたいた音を聞いただけでも、それがドレミで言える、といいます。でも、「いいかげん」な私は、あんまりよくわかりません。それは、やはり、音程がきちんとドならドの音に合ってないから、なのでしょうか? 自分の耳(や脳)がいいかげんなのか、合ってないものは拒否するようにできているのでしょうか? どちらでもいいのですが、「何でもかんでもドレミに聞こえて困る」という事態はさけられて、良かったのかもしれません。

これでもやっぱり、私は、一応は、「絶対音感」の持ち主の部類には入ると思えます。音色や手ざわりには頼ってない、つもりなので。

В管の楽譜

というわけで、チューナーのように精確な音程も聞き分けられません。中学、高校と吹奏楽、管弦楽をやって楽器を手にしていたのですが、演奏前にはチューニングがありました。先生が、一人ひとりの音を聞いて、チューニングをほんの少し「上げて」とか「下げて」とか指示してましたが、先生の耳に頼るだけで、自分ではそこまで精確には合わせられなかったのです。

やっていた楽器は、トランペットでした。経験者の方はご存知と思いますが、楽譜はB(ベー)で書かれます。そう、楽譜の「ド」の音が、演奏する実際の音は、「シ♭」なのです。これには困りました。自分で楽譜をC(ツェー)に書き換えたこともあるくらいです。しばらくすれば慣れで、ドの音はシ♭と頭の中で書き換えできるようになりましたが。どうして、こんなふうに書くようになってるんでしょうね? もしくは、楽器の構造の特徴とも…。ちなみに、同じ曲でも他の楽器はC(ツェー)だったり、ホルンはFだったりして、こんがらがってしまいます。こういった楽器奏者で、ドレミで言い当てる絶対音感の持ち主は、どう切り抜けているのでしょうか?

人間の歌声

実は、最近、といっても数年前くらいに気付いたことがあります。人が歌う声は、実は、私にはどうやってもドレミでは聞き取れませんでした。音程の前にちゃんと歌詞が耳に入って良かった、とも言えるのですが。でも、歌こそ、ちゃんと音程をあてはめているのに、何故なんでしょう。それが、あるきっかけでわかりました。人間の声には、いろいろな音の周波数成分がまざっていて、楽器のようにかなりしぼられたものにはなっていないこと、だからなのです。何年前に放送されたでしょうか? 歌手の松任谷由実さんが、モンゴルの「ホーミー」と呼ばれる歌を訪ねに行くNHKスペシャルの番組がありました。そのモンゴルの方の歌声には、普通に聞こえる歌の音の周波数成分の他に、聞こえない周波数のものも含まれている、というものでした。周波数分析すると、メインの山以外に、別のピークが現れるのです。そして、松任谷由実さんの歌声も、そのように、いろいろな周波数成分が含まれていました。スペクトルは、けっこう複雑な形をしていたのです。一人で歌っているのに、よく、何人もの声が聞こえる、とか言われるそうですが。

とにかく、その番組内で出ていた、横軸に周波数、縦軸に音(声)の強さのグラフを見て、「な〜んだ、歌っていても、声っていうのは様々な周波数がまざってるんだ」というのが、一瞬でわかりました(今、似たような図を検索してみたのですが、短時間ではいきあたりませんでした。)。私の耳も、複雑にいろいろな周波数成分が含まれていると、とたんに拒否して、ドレミでは聞き取れなくなるようです。そういった、歌の音程を知りたい時は、ずばり、口笛にします。すると、すんなりわかります。

もっと便利なこと、そして、悲しかったこと。

絶対音感があるなんていいな」と言われたこと、少ないですがあります。でも、私にとって(当時)もっとうらやましい人にも出会いました。それは、コードがわかる人です。バンドをやってた時もほんの少しありまして、その方はバンマスでした。何でも楽器ができちゃう、すごい方です。いわゆる耳コピーでスコアを作って、メンバーに配付してくれました。その方は、ピアノを習った経験もなく、全て独学のようですが。なので、私のような絶対音感はないと話していました。でも、曲を聞くとコードがわかるそうなのです。ないものねだりかもしれませんが、ギターやバンドをやるには、「そっちの方が便利だ!」と思ったものです。

某音楽教室の、「ドレミファソ〜ラファミレド♪」というCM、ご覧になった方、お子様をお持ちならば気に留めてらっしゃる方も多い、かもしれませんね。私もあんな子供でした。習っていたおかげで、ドレミで歌うのが楽しかった時期がありました。でも、今はできません。ある時、クラシックの一説をそう歌ってたら、もちろん、黒鍵にあたる部分は適当に、前後のもので言い換えるわけですけど、「気持ち悪いからやめてくれ」と言われたことがありました。確かに、黒鍵の部分は「ドレミファソラシ」のどの音でも言い表せません。それ以来、二度と歌えなくなりました。あのCMや、特別な目的もないような、早期の絶対音感を望む意見を見ると、このことを思い出して悲しくなることがあります。

というわけで♪

結局のところ、ある程度な絶対音感も持ち主である自分の経験をずらずらと書いてしまってきましたが、そこから言えることは、「絶対音感はあってもなくてもいい」ということ、です。音楽に親しむ、楽器を演奏できるようになる、ことで人生豊かになっても、絶対音感があることで豊かになる、とはあんまりそうは思えません(それを通して新たな出会いはあるかもしれませんが)。そう、バイオリンとか、自分の耳で音程を合わせる楽器にはある程度必要かもしれませんね…。なので、子供に絶対音感をつけさせよう、という意味で音楽を習いに出したり、はしないと思います。そして、自分はこのような「ややいいかげん」な絶対音感を持って生きてきたわけですから、その中で、便利なところ、不便なところ、適当につきあっているといった状態です。

カソウケン研究員Aさんのレポートのまとめ部分でも、絶対音感早期教育に走る必要はない、というふうになっていますが、まさに同感、なのです。