まとめ

続きです。
仕事をやめてからの数少ない天文との接点をまとめておきましょう、か。一応。

2001年、11月。日本で流星雨が見られる、と予想されたこの日でしたが、しし座流星群は、家のベランダで見てました。街中で街灯もすごいんですけど、かなりの数見えましたよ。けど、その2年前の、日本中がめちゃくちゃな大騒ぎになったしし群の年、騒ぎの翌日の夜に天文台で見た流星の数の方が圧倒的で、そっちの方が印象が強いですが。でも、流星雨はやっぱり見たかった…。

2003年は、火星大接近。火星そのものはもちろんいつも見えてました。けれども、望遠鏡でのぞく機会は残念ながらありませんでした。望遠鏡があったり、観望会できる施設は適当な近さにあっても、子連れだし、夜中だし、当然そんなところまで出かけられません。そういえば、観望会の補助員に、と、声をかけられたりもしたんでしたっけ。望遠鏡がなくて普通に見るだけなら、いつもより明るいだけでありがたみも何にもないものねぇ。

2004年、春の2つの彗星は、一応は見ようとしたんですが、悪条件のために見えませんでした。10月の部分日食。これは、家の前でテレホンカードで影を写して見ました。食分が小さくてわかりにくかったでしょうけど。近所の奥様&お子さんにもちょっと見てもらいましたが、うちの子も、その子も小さくて日食なんて興味ないって感じでしたけど。それよりも、外遊び、ですよね〜。でも、他の人に話を少しでも聞いてもらって、何だか以前の自分の仕事を思い出すようで嬉しいひとときではありました。

今年(2005年)に入ってからの先日の、マックホルツ彗星、すばるに接近した時にに、「街中でも見つけやすい、今しかない!」とおもって、探して見ました。なるほど〜、彗星としてぼーっとしたのは見えました。でもこれって、広がった天体とか、暗い天体を望遠鏡や双眼鏡(私が持ってるのはこっち)で見慣れた人じゃないと、わからないよね、という感じでした。

仕事としては、地元のプラネタリウムで話をしたのが1回(※)。そこの会報にちょっと物書きしたりが3回。元職場の会報に書いたのが1回(※)。某プロジェクトのWeb Pageに関わったのが1度(※)。※印のは、お金をいただいてした仕事です。Web の仕事は続けたかったんですけど、やり始めたのが春過ぎくらい。その時分はいいのですが、夏になったら暑くて暑くて、エアコン効いてる職場などとは違って、エアコン設定温度ぎりぎりな自宅での仕事なんてとってもやってられなくなって、秋になったらつわりで、やめてしまいました。今も、一部、「準備中」な看板で残ってて、見るたびに心苦しくなるのです…。

子連れになって、研究会や学会も数えるほどですが行きました。といっても、保育サービスがあったって(もちろんないのがほとんどですが)、子供が小さすぎて、昼寝が必要だったりとかして、発表を聞く時間どころか、人と立ち話をする時間すら長くは取れません。そんなもんでした。おまけに熱出しちゃったりしたこともあったしぃ〜。

さて、今年は何か、できるでしょうか? 自分から動かないとダメ、ですけど。