なんで写真を趣味にしようと思ったかの話

写真に興味を持ったきっかけ、そういえば書いてなかったので書いてみたいと思います。大洗のカメラ講座でもそんな話を自己紹介でしてましたし。

大学生の頃に父親からカメラをもらったのが、自分だけで使えるカメラの最初だったと思います。Nikonで、フィルムのオートフォーカスコンパクトカメラでした(当時のそのバカなんとかカメラって呼んでたタイプの)。

院生や西はりま勤めだった時は、大学のアンテナを撮ったり、出張先の野辺山で受信器撮ったりしたのもけっこうありました。それをスキャナで取り込みしたのは、後に共著で出版した「宇宙スペクトル博物館(電波編)」のCD-ROMにも使ったかもしれません。そして、結婚して子どもが生まれてからもしばらくこれでした。フィルムを大量にもらったこともあり、赤ちゃん時代をばしばし撮ってました。

そのカメラの不調もあったのか、最初にデジタルカメラを手にしたのが、2004年末。子どもはすでに二人になってました。夫が買ってくれたのがなぜかFUJIFILMので、それがFUJIのカメラとの出会いになります。

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その初代が壊れたのがこのブログの時の2010年の年末。2台目もFUJIFILMでした。「裏の液晶画面のでかいのがいい」くらいしか注文言わなかったので、私の中でのカメラの位置付けもまだその程度だったと思います。

そのカメラを手にして後に始まったのが、学校PTAの広報委員会です。学校行事で撮りまくり、その中からベストなショットを選び、PTA広報紙に掲載します。そうなると「いいものを撮りたい!」となるわけですから、行事に出向く回数も、1回の行事で撮る枚数も増えます。自分ちの子だけを撮るとは目的が違うので、例えば、運動会のかけっこなんかは最初から最後まで撮ることになります。1日で1000枚近く撮ったり、閉会式前に電池の充電がなくなった時は「自分どうかしてる」と思いましたが、のめりこんでたかもしれません。

そうすると、撮りながら、どんな写真がいいかも考えはじめます。写真の教科書など見なくても、光の向き、構図、タイミング、など。最終目標は広報紙で、文章と複数の写真ということにもなるので、組写真的に複数を選ぶことを前提に「子どもはあまり写ってないけど、こんなシーンがあるとわかりやすい(おもしろい)」というのも考えて、カメラを向けることもありました。

結局、小学校のPTA広報委員会は合計3年分やりました。

そこで。例えば運動会の時などは委員全員で手分けして撮影し、成果を持ち寄るわけですが、中にはパパさん自慢の一眼レフカメラで撮影した写真も出てきます。明らかに違います。当時はボケとかF直とかの知識がなかったので、「走ってる子どもたちが画面から浮き出ているように見える!」という言い方で驚いてました。これはコンデジでは撮れないと。そのあたりから、次に買うなら次のレベルのカメラが欲しい、違った写真表現がしたい、と思うようになりました。

写真と大量格闘したといえば、2人の子の卒業DVD作成もありました。

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ここにも書きましたが、動画部分はプロお任せでの一方で、卒業までのスナップ写真選びをほぼ一人で担当しました。「1年生の時のはデータが散逸していて手元にある写真が少ない」「6年生はいっぱい写真が残っていて見返す作業から大変」など、それぞれ違った条件下で、いかにあるものの中から50枚程度を選び、その1年間を表現するか。これは撮影というより編集作業になりますが、いろんな人が撮影した写真をたくさん見たということもあり、おもしろかったです。

このDVD、よその人には紹介はできませんが、その、アホな普段の感じの子どもたちの表情や動きは、人気の梅佳代さんの写真集にも通じる部分もあると密かに思ってます。


話を戻して、自分のカメラ。

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そして、2年前に購入、に至りました。

気づけばPTA広報の仕事もなくなり、自分ちの子も大きくなってそんなに写真を撮ることもなくなり(でも今後も意識して撮りたい)、あの頃とは撮る目的が多少違ってきていますが、いろいろ挑戦してみたいなと思っています。



https://www.instagram.com/p/Bs7LH-lF4fO/
カメラ包みを縫った。どうしても通学グッズの残り布になるからライダーだけど、リバーシブル。

前記事のとおりインフルで外出禁止なので、カメラカバーを縫ってみました。年始にどこかのブログで見て、これなら簡単に作れるとメモしておいたものです。