ギャングエイジ

PTA再活用論―悩ましき現実を超えて (中公新書ラクレ)で知った、川端さんによる、小学校を舞台にした小説です。

本の紹介にもあるとおり、「前の担任の先生が学校に来なくなり、後任に新人先生が来る」というところから物語が始まるところに、既視感を覚え、猛烈に興味を持ちました。

上の子が、まさにこのギャングエイジ世代に、同じことがあったからです。

以下、その、私の思い出話が中心な、本の感想とかです。ネタバレあるのでご注意ください。




自分ちの上の子の話です。移動でやってきた、まだ若いA先生が担任となってようやく3ヶ月の頃、A先生がお休みされました。最初は、風邪か何かが理由かと思いました。「声が出なくなった」と、そんなふうに聞いていたからです。

しかし、数日経過しても、子どもから「戻ってきた」という話は聞きません。6月末に1学期の授業参観がありました。他のクラスは予定どおり担任の先生方が授業をしているのに対して、上の子のクラスは「参観はなしです」というお便りがあったものの、来てダメだというわけではありませんでした。数名のお母さん方と、超ベテランな生活指導主事の先生が算数を教えている、ちょっと珍しい光景を見たのを覚えています。

そのうち、「A先生は、心の病です」という子どもの話、お母さん方の話がまわってきました。学校からは、「1学期中はお休みします。成績はA先生と、補助の先生とで相談して書きます。夏休みの面談は…」などというお便りが来て、長期化の様相を示してきました。

保護者の中には「どうなっているのか?」と学校に電話した方もいたようです。実際、学級委員さんなんかはちゃんとしたことを知るべく、電話したかもしれません。私は特にアクションは起こさなかったものの、内心、心の病と聞いて、「新聞等でよく聞く話だけど。うちのA先生を追い込んだ奴は誰だ? 子どもか? 保護者か? それとも他の大人なのか?」と、いらぬ正義感ふりかざして、家で一人、息巻いてました。

が、事態はいきなりの展開。お休みされていたA先生は担任を降りて休職、別の若いB先生が採用され、7月からもう担任になりました。


・・・、と、小説のイントロのような展開だったのです。小説では、前の先生が不登校となった後に講師の先生でつなぎ、翌年の春からド新人が担当、という流れですが。

小説のクラスは、学級崩壊を起こしていました。理由は読み進めればわかるのですが、子ども、家庭、地域…、複雑な事情があったようです。先生が不登校になった理由も、新人先生の奮闘で、徐々に明らかになってゆきます。


同じような状況だったうちのクラス。学級崩壊は、多分、していなかったと思います。いろんな個性の子がいれば、いろんなこともあったでしょうけれども。そんな、めちゃくちゃな状況はこれまでも聞いたことがなく、どちらかといえば学校や地域のカラーはおとなしくてマジメな方です。それでも、A先生が来なくなり、そして、B先生が担任となった7月。改めてうちのクラスのみ授業参観がありましたが。猛暑の始まりである7月の5時間目。暑さと疲れで集中力も切れかけているところ。授業中に立ち歩くなどといった子どもはさすがにいませんでしたが、かなり、ざわついていて、まとまっていなかったなという印象を持ちました。

ただ違ったのは、代わりでやってきたB先生ですが、講師としてこの学校に勤めていた経験があり、学校のこともご存知ならば、受け持った子どもも上の学年にいて、慕われていたことでしょう。私も、特に不安だと思うことはありませんでした。国語が専門だそうで連絡帳の字もとてもきれいで、恐縮したのを覚えています。2学期になってみれば、女の先生だったこともあり、女の子にはあっという間になつかれていました。一方、一部の男の子からは心ない言葉も浴びせられ、自分ちの子からは、「今日もB先生は、○○くんに、『ばばぁ』と言われた」などと、何度も報告を受けたものです。

その頃に、この、中学年の子たちを「ギャングエイジ」と呼ぶことを、学級懇談会か何かで教えてもらいました。

B先生は、若いなりにもこのギャングエイジの扱いにはいくらか慣れていたのか、嫌なことを言われても気にされることなく、懸命に指導してくださいました。ちなみに、この学年の時に、「学級会で『朝食は、パンか、ご飯か?』という話し合いをした」という子どもの話が、印象に残っています。子ども達に正解のない議論を経験させてくださったのは、もしかしたら、初めてかもしれません。


ミステリー仕立てのようになっている小説の方では、この事件は一体どういう理由なんだろう?と、推理し、ドキドキしながらページをめくりました。その中で、PTAの話、それから、学年理事会の話が出てくるところでは、これまで著者の川端さんの書いたものを読んできて覚えがあるので、復習のように読めました。家庭にふみこんで問題を解決するようなところは金八先生のようでいて、でも、雑用やPTAや他の先生のこと、そういったつまんないことにふりまわされる細かな描写は、小学校の先生の本当の姿を教えてくれました。

結末となる3学期。お話では、大逆転のハッピーエンド、でした。不登校になっていた先生が、帰ってきたのです。本当に良かった、と思いました。


一方で、うちのA先生のことは、もう、何もわからずに終わってしまったのを思い出して、少し、悲しくなりました。A先生は休職の後は、退職されました。挨拶も、手紙も、タイムカプセルも、何もありませんでした。お気持ちも、真相も、何もわかりません。個人的なことだから、わからなくても良いことなのかもしれません。子ども達は、毎日、前を向いて、新しい出会いを受け入れて、どんどん進んでゆきます。もう、A先生のことも忘れてしまったかもしれません。

でも、私は、思い出すのです。どうされているのだろう、と。元気でいらっしゃるのかと。

また、小説のてるてる先生のように、いきなりのピンチにやって来られたB先生の、今後の活躍も、祈らずにはいられません。