遅ればせながら、梅や桜の写真

とにかくこの春は、卒業と入学があってバタバタしていて、梅を撮りに行けませんでした。寒い日がいつまでも続き、梅の開花も遅れぎみだったのに、3月中旬くらいから一気に咲きはじめて梅まつり終了の3月末で全部終わったという感じです。

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3/18の弘道館。多分、県立図書館に寄ったついでです。

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そこで探すのが、私の好きな1本で2色の花が咲く樹。いつ見ても不思議。1つの花でも花びらの色が違うのもあります。100均のマクロレンズを着けてこんな感じ。下を向いている花を撮るので、どうしても暗くなりがちですが。

以上がiPhoneによる撮影。X-T20を持ち出して偕楽園弘道館をぶらぶら、という日も取れなかったんだなぁと思わされます。

ここから、X-T20での撮影です。

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3月末の、逆川緑地。

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濃いピンクと薄いピンクの桜があって、対比がきれいでした。ここは整備されたのが最近なのか、桜の木もまだ若くて細いのが多かったです。

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一方の、千波湖。とにかく人出がすごかったです。ので、気軽にカメラを桜に向けられません。

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常磐線好文亭と。梅の花が終わってるのもわかります。

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4/2の偕楽園内です。

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左近の桜、のアップ。木全体としては、もう既に散りはじめてました。

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ユキヤナギと桜。手前のユキヤナギにピントを合わせたつもりだけど、花が細かいので主題がはっきりしないのが気になるといえば気になるような。

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水戸で桜といえば、偕楽園と線路を挟んだところにある桜山、護国神社の桜です。週末に宴会した形跡もありつつの、花見客もたくさんでした。一緒にいた子どもが気にしていたのは、コスプレしている人。ちゃんとカメラマン連れだったものですから、うちの子は感心してました。

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桜山から降りてきて、四季の原を歩いていたところで、でっかい生き物に遭遇。花壇を闊歩するコブハクチョウです。うちの子は、この、そのへんを散歩している犬より大きい鳥が我が物顔で歩いているのにドン引きしてましたが。これも、水戸の風景ってことですかね。



写真としては、F値は少しは「変えよう!」っていう気になったものの、他の露出とかまで頭がまわってないというのがわかる写真を上にもアップしてるのがまるわかりです。こういうのも、現場で1つの対象についてあれこれ数値を変えることができないので(歩きながらのスナップに近い?)、頭にある程度入っていて現場ですぐに気づく必要がありそうです。

「ときわサイエンスカフェ」2年間の話

2年間、「ときわサイエンスカフェ」という講座をやってました。気づけばこっちに何も報告してませんでした。

cafemito.exblog.jp

上のサイエンスカフェ水戸のブログの方におおよそのことは書いてあるのですが。きっかけは、地元の方に「市民センターの講座としてサイエンスものを」という相談を受けたからです。

水戸に来てこれまで、ほぼ自分一人でまちなかのお店を探してサイエンスカフェを数回やってきましたが、どうにも疲れていたのでここ最近はサイエンスカフェ水戸の活動は放ったらかし(=自分から進んでやらない)にしてました。なので、お話をいただいた時はとてもありがたかったです。市民センター側が、受付や会場提供(無料)をやってくださるので、その分の負担が減るのも助かりました。

最初の年度は全10回(うち、私が担当したのが3回なので、外部ゲストは7名)、2年目の昨年度は半分の5回行いました。

場所は市民センターの会議室でしたから、会場レイアウトとしては講義を聞くような形のままにしました。コーヒーはセンター備品のコーヒーメーカーを使っています。極力、理想のサイエンスカフェを追いかけることによる無理、は、やらないことにしました。

ありがたいことに、サイエンスカフェに集まったみなさんはサイエンスに興味がある方がほとんどで、質問もたくさん出て、各回ともけっこう盛り上がったと思います。

先々月の2月が最後の回だったのですが、「終わってしまって残念」といった声もいくつかいただき、開催したことが参加者のみなさんのためになってよかったなとほっとしました。


ざっくり経緯といただいた感想を書いてしまうとこんな感じです。

でも、反省もいろいろありました。私個人の負担が減ったとはいえ、複数のゲストを探してくる役割は私にありました。謝礼が出たのでお願いしやすかった面もありましたが、本当にそのやり方でいいのかといった葛藤もなかったわけではありません。あとは、受講される方が4月の募集の時点で締め切られること、1回のみの参加といったのが原則として認められないこと、このへんは、楽にしたいと思って選んだ市民センター側の運営の事情によります。そして、実際に集まった数が開講ギリギリの人数だったこと、もあります。楽できるように工夫も手抜きもありましたが、全てがスムーズに行ったわけではありません。

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(余った受講費で買って、最終日にみなさんにお配りしたお菓子です)


何度かここに書こうと思っては手がつけられないネタがあって。それが、サイエンスカフェを続けることの限界です。


一人でやることがしんどかった。場所探し、ゲスト探し、広報、お金、当日の司会、など。全てが大変だった。

水戸なんて、歴史と芸術とスポーツが幅をきかせていて、サイエンスのイベントをやったって誰も集まらない。(ジオパーク認定取り消しがよく表してる気がする)

ある界隈では、「サイエンスコミュニケーションが大事」とか「コミュニケーター何やってんだよ」みたいに言われるけど、もう本当に誰も助けてくれないし誰も関心ないし。


他にやること(うちのこととかバイトとか路線バスとかバンドとか)、やらされてること(PTA役員で委員長とか)、やりたいことじゃないことでもけっこう手いっぱいだしスキルも発揮しなきゃならないのに、どうしてここまで苦労して実にならきゃ見向きもされない、金にもならないことをやらなきゃならないんだろうと思ったりします。せっかく学んだのにここに至るというのは、サイエンスコミュニケーションを推進してる方にとっては意外な話かもしれませんが。

ときわサイエンスカフェは、そういった中でも私の活動を欲しているし、手伝ってくれる方がいたこと、おもしろいと思ってくれている方がいらっしゃることがわかった、貴重でありがたい機会でした。それでも、そうやって集まってくださる方も、水戸市外を含めても10名程度ではもう限界でした。良かったと言ってもらえることも多かったですが、「この内容(私の準備不足による)では満足いってもらえないだろうな」と思うこともありました。全体的にという時もあれば、レベルによってという時もありましたし。他地域で開催されたサイエンスカフェに、参加者が満足してもらえない時がある、という反省は聞いたことありませんが、自分としてはこんな状況(自分自身の多忙さによる打ち合わせ不足など)で続けていいのかというのもあります。

ゲストの方は「また呼んでください」と、お金抜きでもありがたいことをおっしゃってくださった方も多くいて、まだまだサイエンスコミュニケーションは研究者に完全には嫌われてないんだなと思ったものですが。それでも、全てをうまく、一人きりで調整するのは無理なのです。

というわけで、一部の受講者の方には「来年度も」と言われたのですが、やっぱり一度はやめにしようと思いました。休んだら終わりかもしれませんが。そのくらい、今は、サイエンスコミュニケーションにはあんまり期待しなくなりました。かの方が突然に亡くなってもうすぐ1年。横のつながりを維持したり、相談したりといったことも、以前に比べると随分と減ってしまいました。

サイエンスな個人活動としては、請われれば手伝いに行きますし(今もとある課の相談には乗ってます)、#関東雪結晶 みたいな個人参加のおもしろプロジェクトには手を出しますが、そんな感じですかね。

PTAの3年学年委員

今年度もPTAをやっていました。今回は、広報委員ではなくて学年委員です。

学年委員というのは学年懇談会や学級懇談会の司会をしたり、学校行事があったらちょっと呼び出されて雑用を任されたり(受付とか)、あとはバザーで何かの食販を担当したりというのが一般的なやることだと思います。

ただ、最も大事なのは、クラスや学年で何かあった時、例えば保護者から要望があったり、先生から保護者に何か聞きたいことがあったり、あるいは、保護者の間で何かがあってそのことについてとりまとめしなければならない時などに、誰もいないと困るので世話役みたいな感じになる役員のはずです。広報委員なんかはなくしてもかまわないけど、クラスの保護者のまとめ役して最後に残しておかなければならないような役割です。

でも、こういう本来の目的は忘れ去られていて、やっぱりバザーとかたまの雑用(あいさつに呼ばれたり)とか、あと、その学年が上に上がる時に、次年度の役員探しに電話をしまくらなければならいという、とてもやっかいな仕事があるので、あまりやりたい人の手が挙がらない委員とも言われているようですが。


今年、中3の学年委員をやってました。

うちのところ学校は中3の学年委員長になった人が、卒業式に保護者代表で謝辞を読むということが決まっているので(もちろん、他で謝辞を引き受けてくれる人が別に見つかれば免除になります)、役員決めでものすごくもめる、という話を前々から聞いてました。中3学年委員として一般的な仕事はやってもいいけど、くじ引きなんかで委員長になってしまって卒業式にみんなの前でしゃべらなければならない、ということだけは避けたいと思う方が非常に多くて、結果、最初から誰一人としてやりたがらない、という事態に陥るのです。

なので、先手を打って、「私が委員長になるから、一緒にやりたい人は声かけて」って半年前くらいから噂を流しました。おかげで、中3になる少し前にはほぼ定員の人数の人が「じゃぁ、(委員長にならなくていいなら)私もやるわ」って言ってくれたのです。前年役員さんが電話をかけまくってお願いする手間も省けました。

1年間の仕事は、バザーの食販(個人的に調理は苦手)が準備から当日まで大変だったのを除けば、たいした仕事はありませんでした。それは、上に書いたような保護者の要望とか問題とかも特になかったからというのもあります。親も子も、わりとマジメな学年でしたね。


ただ、最後。引き継ぎ書類にたいして書いてなかったのであまり意識してなかったのですが、卒業関連での仕事がちょこちょこありました。小学校で卒業対策委員長を2度もやったので勝手はだいたい想像できていましたし、あの時のような(お金を集めた分の)量の仕事はなく、今回は、お花と祝菓子を用意したくらいです。

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卒業式。

人前でしゃべるのは慣れているので保護者代表を引き受けるのは私としては問題なかったのですが、はて、では、何を話そうか、いざ文章を考え始めてはけっこう悩みました。

が、世の中にはいろんな文例の本があるものです。PTAの保護者の挨拶文の例がたくさんある本を図書館から借りてきて、参考にしました。

でも、「入学式は〜」「修学旅行は〜」なんて話をしたいわけではありませんし、有名人の言葉を借りて「みんなもこう生きるべき」という説教なんて全く御免です。結局は、自分が卒業生のみんなに対してどう思っていたかということを、素直に書くのが自分としては一番しっくりきました。

ありがたかったことがあります。それは、他校のママさんですが、そういった人前でしゃべる機会が私たちなんかよりも断然多い方がいらっしゃって、私が書いたものを添削してくださったのです。「あまり挨拶文の例にないようなこんなことを言っちゃっていいのだろうか?」と若干不安だったのですが、その方に「いいよ!」って褒めてもらえたので(もちろん言い回しなどは直してもらった)、安心しました。背中を押してもらって、卒業式に臨めました。

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式辞用巻紙は必須でした。このとおり字も下手ですが、「下手でも引き受ちゃうこんなヤツがいるから大丈夫!」という意味で晒します。最近ではプリンタに印刷できる用紙もあるそうなので、次に機会があったらそっちを使いたいです。

終わってみれば、子どもたちにもおおむね好評(眠くならなかったとか、つまらない話じゃなかったという意味で)でしたし、聞いてくださった先生方や保護者のみなさんにもお褒めの言葉をたくさんいただきました。

今後、引き継ぎがありますが、とりあえず1年間の委員長の仕事が終わりました。


こうやって毎年のようにPTAで委員長だ何だと引き受けていますが。決してやりたくてPTAをやってるわけじゃないのです。でも、請われるなら、自分と、自分の子と仲良く助け合ってくれた子どもたちのために、必要なことはしたいと思うのです。

自分の気持ちは、統率してみんなを引っ張って何かを成し遂げるような委員長ではなくて、鷲田先生の言う「しんがり」です。卒業式が終わり、校門でそれぞれが写真を撮ったりおしゃべりして帰っていった後も一番最後まで残り、忘れ物やらなくし物の確認をしてから、帰ったのでした。